チベットーアメリカと呼び名のメイクオ氏

冒険取材

ラサから阿里のカイラス山を目指して4000m高地のチベット高原をゆく。

私たちはライトバンとトラック乗る6人の男達。携帯酸素ほか

ガソリンやラーメンなど積んでいる。宿泊のホテルで顔馴染みの旅人に出逢う。

西洋人の老・人がガイドのチベット人を虐待する。

ガイドの男性が「私は召使でありません。ガイドです」と抗議すると

老婦人は細い棒切れで叩こうとする。ガイドの男性はついに我慢できなくて、ガイドをやめますと。婦人から離れる。

席に余裕があったので、ガイドの男を乗せてやることになった。

メイクオに命を助けられる

このことがあとで命いになった。

ガイドの男は大柄で、鼻が高くアメリカ人みたいなので(美国ーメイクオ

と発音するアメリカのこと)メイクオと呼ばれている。

途中で村人とトラブルになった。スコップを手にしてあわや衝突となり、

50人はいる村人の手に銃があることに気づき焦る。その時メイクオが車から降りて、村人のリーダーの顔を殴り、『お前達は俺を救ってくれた恩人になんてことをする!』とその場を収めてくれた。

ラサに帰り付き、夜メイクオが訪ねてきた。政治家のトップが来るので、暴動を起こす予定。飛行機で脱出できるように飛行場の隣のホテルに

すぐ移るようにと。メイクオに二度助けられた。

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